from : NPO法人・犬猫みなしご救援隊・代表ブログ・みなしご庵へようこそ
今年もまた
3月14日がやって来ました・・・
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
2011年3月14日の仙台は
小雪がちらついていて
小雪がちらついていて
ものすごく寒かったけど
今年の3月14日も《寒のもどり》で
栃木拠点にいても
栃木拠点にいても
やっぱり寒いです・・・
2011年3月14日
仙台市若林区荒井で取材を受け
そのときの《思いの丈》を
広島弁でしゃべっている私です。
・・・で
このショットは
左上の説明書きや
右上のワイプを見てもわかるように
当時
このショットは
左上の説明書きや
右上のワイプを見てもわかるように
当時
全国報道されたときの映像を
のちに同局の別の番組が
中谷百里を紹介するのに使用したものです。
この映像のように
震災から間もなくは
現地でレスキュー活動する人は全員
ヘルメットを着用していたんですよ!
この写真を見ると
この写真を見ると
当時の私は田原君の建設現場で
作業していただけあって
ヘルメットのアゴヒモは
ちゃんと付けているけど
ヘルメットのアゴヒモは
ちゃんと付けているけど
マスクは適当な感じで
まったく用をなしていませんね(笑)
突っ込みどころ満載の映像ですが
この2011年3月14日は
まさに私の人生の
ターニングポイントなんですよね・・・
東日本大震災から3日後の
宮城県仙台市での活動から
福島原発20km圏内での活動を書いた
記録本【鼓動】の最初のページです。
私は今年も3月11日
自分が書いた【鼓動】に目を通しました。
今となって思うのは
あのとき見た光景や
あのとき感じた思いを
【鼓動】という名の記録本で
書き残しておいてよかった・・・
・・・ということ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
東日本大震災からちょうど1年目の
2012年3月11日【鼓動】出版
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
2011年5月から
私たちの福島での活動に帯同して
私たちの活動を記録し続けた
カメラマンの金子さんの動画を
とあるテレビ局の
ノンフィクションプロデューサーが見て
旧知の仲の
ノンフィクション専門出版社へ話がいき
震災直後から始まった私たちの活動を
誰も居なくなった町に
置き去りにされた動物たちの現状を
記録本という形で残そう・・・という話になり
出版に向けて
私への説得が始まりました。
当時の私は
かなり・・・かたくなでした。
そもそも私は
やりたいことができれば満足なのです。
ご存知の方も多いでしょうが
私の場合は特に
《危険を伴う救出》が多いため
自分が何をしたか・・・
いかにスゴいことをしたか・・・など
自分の活動を
世間に誇示することより
命を助けることを優先しているので
公表していない救出活動は
ことのほかたくさんあります。
ましてや
福島原発20km圏内の活動ともなると
ましてや
福島原発20km圏内の活動ともなると
ナンビトたりとも入ってはいけない
・・・と言われる警戒区域から
動物を連れ出しているわけで
それが世に出たら間違いなく
それが世に出たら間違いなく
政府からとがめられ活動の妨げになる。
すなわち
助けられる命が減る・・・
すなわち
助けられる命が減る・・・
今そんな見えない力と戦う余裕は
私にはない
私にはない
福島での活動は
なにがあっても公表することは控えたい・・・
なにがあっても公表することは控えたい・・・
私は記録本の出版に対して
かなり難色を示していました。
・・・が
かなり難色を示していました。
・・・が
「日本国が
同じ過ちを繰り返さないために
災害が起きても動物の命を
ないがしろにしないために
災害が起きても動物の命を
ないがしろにしないために
犬猫みなしご救援隊の活動の記録が
必要になるときが必ず来る」
・・・と
いろんな人たちから説得されているうちに
『誰もが知らない20km圏内の現状を伝えるのも
ひとつ私の役目かも知れん』
・・・と思うようになりました。
【鼓動】出版に向かって前向きになるまでに
ひとつ私の役目かも知れん』
・・・と思うようになりました。
【鼓動】出版に向かって前向きになるまでに
数ヶ月を要しましたが
原稿は
〆切までの2週間で書き上げました(笑)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
『1年分の濃い活動を書くには
2週間じゃ足りんじゃん!』
・・・と言いながら
それは確実に私のせいじゃし
福島の保護活動も
ストップするわけにはいかんので
夜な夜な書いては朝がた出版社にFAX・・・
まさに不眠不休で
なんとか2週間で書き上げました。
※私はPCが苦手だからすべてアナログです(笑)
原稿は
〆切までの2週間で書き上げました(笑)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
『1年分の濃い活動を書くには
2週間じゃ足りんじゃん!』
・・・と言いながら
それは確実に私のせいじゃし
福島の保護活動も
ストップするわけにはいかんので
夜な夜な書いては朝がた出版社にFAX・・・
まさに不眠不休で
なんとか2週間で書き上げました。
※私はPCが苦手だからすべてアナログです(笑)
地震発生から10日ぐらい経つと
津波の被害が大きかった場所でも
ヘルメットの着用は
自由な感じになりました。
理由はたぶん
被災された方々が自力で
ガレキの撤去とか泥のかき出しだとか
復興に向けての動きを
なされていたからだと思います。
理由はたぶん
被災された方々が自力で
ガレキの撤去とか泥のかき出しだとか
復興に向けての動きを
なされていたからだと思います。
私たちは
その頃も変わらず
宮城県・岩手県の避難所に
その頃も変わらず
宮城県・岩手県の避難所に
広島本部から持ち出したロイカナのフードを
持って回っていました。
持って回っていました。
たまたま通りがかった
岩沼市の防波堤で
家族を探す《もも》を見つけて保護できたり
東日本大震災の救援活動中は
奇跡的なことがずいぶんと起きました。
今でも私は強運で
《運だけで生きている》と思いますがね♪
3回目の東北入りのときに
広島から乗って行った
広島トヨタレンタカーのマイクロバスです。
犬猫みなしご救援隊 広島
・・・と《書いた紙》を貼ってます。
このマイクロバスは
その後も長いこと借り続け
保護した犬が暴れていろいろ破壊したため
広島で廃車になりました。
記念に買い取ればよかったかな
・・・と
今でも時々そう思ったりします。
今でも時々そう思ったりします。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
2011年3月21日に見た
福島県南相馬市小高区のまっすぐな道
その道にいた
おびただしい数の犬たちの姿・・・
これは今でも
夢に出てくる光景です。
最初は何が起きたのか
私もわからずにいましたが
『連れて行ってもらえんかったんじゃ』
そう気づいた後
なんで?なんで?
なんで連れて行ったらいけんの?
人間が避難せにゃならんほど
放射線物質が飛んどるんなら
動物も同じよ~に避難させにゃ~
この子らは
このままじゃ・・・被爆するじゃん・・・
文句ひとつ言えない動物たちが
あわれで・・・あわれで・・・かわいそうで
心臓が締めつけられました。
・・・と同時に
『よし!必ず私が連れ出してやる!』
『よし!必ず私が連れ出してやる!』
私の居場所はここじゃ!
原発が爆発した福島じゃ!
・・・と思いました。
福島原発20km圏内から
犬を連れ出すときは
その子に対する世間の目
風評被害がとっても怖かったので
その子に対する世間の目
風評被害がとっても怖かったので
1匹ずつスクーリニング検査をして
放射線物質が付着していないことを
証明していました。
「時間がないから犬は検査しません」
・・・と言われると腹が立ち
『ほいなら
人間と犬がど~違うか説明せ~や!
人間も犬も同じ命じゃ!』
・・・と吠えたり咬みついたり
とにかくこの時期
私はあっちでもこっちでもガンガン
ケンカをしました。
ケンカをしました。
犬を助けながら東電とケンカして
犬を助けながら福島県とケンカして
犬を助けながら環境省とケンカして
犬を助けながら福島県とケンカして
犬を助けながら環境省とケンカして
お蔭で私は
ハツラツとしていました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私は福島をやるまで
『犬を飼うなら飼い主の責任として
飼い犬に
不妊手術を施すべきだ!』
不妊手術を施すべきだ!』
・・・などと
さもげなことを言っていましたが
それまでの私は《知ったかぶり》の
ただの《頭でっかち》で
去勢していない犬や
避妊していない犬の《本当の恐ろしさ》を
経験していませんでした。
2011年以前も犬猫みなしご救援隊では
保護したら即
不妊手術&ワクチン接種をしていたので
実のところ
未不妊の犬から
未不妊の犬から
ひどい目に遭ったことがなかったからです。
去勢していないオス犬と
避妊していないメス犬がいたら
当然
仔犬も生まれてしまいますが
その前にケンカが起きます。
殺しあうぐらいの激しいケンカが起きます。
オス同士のケンカは凄まじく
死ぬ寸前みたいな大ケガを負った子を
私は福島で何匹も見ました。
メス犬でも人を咬むのは当たり前でした。
メス犬でも人を咬むのは当たり前でした。
普段は人馴れしていても
発情期になると咬みつく子もいました。
未去勢・未避妊だと
セーブがきかないのです。
ものすごく悩んだ末に
記録本【鼓動】にも出すことにした
2011年4月10日の夜遅く
病院から帰ってきた時の田原君の手です。
ゴールデンレトリバーの
さくら♂5才に襲われ
こんな咬み痕が
足の先から肩あたりまであり
全身が赤く腫れあがり
全身が赤く腫れあがり
食いちぎられてポロンと落ちた左手小指は
とりあえず
縫い合わせてもらいましたが・・・
結局は
結局は
とりあえず付けただけの田原君の小指は
曲がりに曲がってしまい
曲がりに曲がってしまい
おまけに
神経がつながっていないから
神経がつながっていないから
何かで切れて血を流していても
まったく気づかないし
まったく気づかないし
火が当たっていても気づかないし
《無いほうが安全》だと判断し
縫合から1年半年後に
バッサリ落としたのですがね・・・
当然ですが
この手も含め全身の腫れ具合は
この写真の次の日からの方が
ひどかったです。
当然ですが
この手も含め全身の腫れ具合は
この写真の次の日からの方が
ひどかったです。
さくらの場合は
震災前から日常的に
飼い主から受けていた暴力により
ストレスを抱えていた状態に
発情期が重なったので
余計に気が立って
人を襲っても致し方ない状況でしたが
当時は私も毎日のように
発情で気が立った未去勢のオス犬たちに
いろんなところを咬まれていました。
いろんなところを咬まれていました。
私のふくらはぎの肉が
欠けているのも
欠けているのも
オス同士のケンカを止めに行ったときに
肉を持って行かれたからです。
犬同士のケンカの仲裁に入っているときは
自分の興奮しているもんで
犬同士のケンカの仲裁に入っているときは
自分の興奮しているもんで
たいがいは
犬同士のケンカがおさまってから
自分が咬まれていたことに気づくのですが
さすがに
肉を持って行かれたときは
その瞬間にその場で倒れましたよ。
激痛とかを通り越した痛みでしたから・・・
私が犬を怖がるのは
この時期の
数々の経験がよみがえるからです。
数々の経験がよみがえるからです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
最後に・・・
あれから9年
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
犬猫みなしご救援隊の
活動記録の写真を撮り続けた
カメラマンの金子さんが
今日3月14日
栃木拠点に来ました♪
最後に・・・
あれから9年
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
犬猫みなしご救援隊の
活動記録の写真を撮り続けた
カメラマンの金子さんが
今日3月14日
栃木拠点に来ました♪
『金子さん何歳になった?』
「オレ?オレは72だよ
お母さんは?」
『私?私はもうちょっとで58』
「オレこないだ
網膜剥離と白内障の手術をしてね」
『えぇぇぇぇぇ!』
あのとき・・・63歳でよかった
あのとき・・・49歳でよかった
「あのときはまだ走れたもんな(笑)」
『うんうん
今なら1日5万歩も歩いたら死ぬしね(笑)』
あのとき・・・
私たち3人だけが同じ景色を見ていました。
泣くときも3人一緒で
笑うときも3人一緒でした。







