from : Cat Cafe ねころび
スタッフすーじーです。
季節の変わり目ですね。日頃からねころびをご愛顧いただいているみなさんが、お風邪など召しませんよう、ここ、池袋から祈っております。さて、猫のお話しますか(唐突)。
猫の気持ち。
それは人間のようなもの(唐突)。
例えば、犬。彼らは現代より遥か昔から、ヒトと共に過ごすよう調教され、ヒトの生活に適応し、ヒトの営みのすぐ近くに、パートナーとしての地位を確立しました。犬の社交性は遺伝子の特殊変異によって偶然生まれたらしいです(記事1参照)。孫引きなのはご愛嬌。
そんじゃ猫はなんなのか? 猫の社交性は謎に満ちています。
例えば朝。出勤時の猫はとても人懐っこいです。ハッキリ言って別の生き物のようです。目を合わせれば「にゃん」寄れば「にゃん」触れば「にゃんごろ」。ご飯を食べたあとはどうですか。全くと言っていいほど目を合わせようとしません。まるで私がそこにいないかのよう。さっきまでの猫なで声はどこへ行ったのか、真剣に疑わざるをえません。
例えば、うちの猫にソマリのオス猫「よりとも」がいます。
彼は甘えるときは明らかに態度を変える猫です。顔を寄せると、すかさず額を寄せてきて、こちらの額に擦りつけてきます。だいたい3回から4回、それはまるで、無遠慮にバスタブをこすり洗いするだけの旦那のようです。終わったあと、私の額は毛だらけになります。楽しいからいいや、甘えてくれたからいいやと思っているところ、よりともくんはといえば、もうそこにはいないのです。
「もういい」
では、マンチカンの「わさび」はどうでしょう。
彼女は特定の場所で落ち着くのを好みます。これはどの猫でも当てはまることですが、体を落ち着ける時、人間の動線の近くで休むかどうかは、その猫が、人に撫でられたり、人のぬくもりが好きかどうか、ある程度教えてくれます。
こちらは同じくマンチカンの「小太狼」。
彼もまた、人の近くで休むことを好みます。彼のペースで店内をねり歩いているときや、ご飯を食べるときなどは、人から撫でられることをあまり好みません。とてもハッキリしていて分かりやすい。と思うでしょう。
いつもそうというわけがないのです。
彼らは私が撫でようとする手を、突然凝視したかと思うと、次の瞬間、一目散に逃げ出します。どこへ行くかと思えばゲージの上。部屋のすみ。クッションの中。
「猫は家に住み着く」といいます。日本で生きる猫たちは、たとえ家主が遠くへ越したとしても、家主を追わず、その地域や、その街に住む人々の暮らしそのものを家とする猫も少なくなかったそうです。今では、取り壊されたビルや民家の建物跡から猫が何匹も街に放たれるような事態が相次いでいます。
犬とは対象的に、中世ヨーロッパにおける猫は「魔女の使い」でした。ヒトと親和性の高い犬たちと違い、とらえどころがなく、勝手気ままで、建物に住み着き、夜の街を、目をぎらぎらと光らせながら歩き回る彼らは、畏怖の対象だったのです。
ヒトに恐怖された猫たちは、それはそれは、長い不遇のときを過ごしてきました。猫が一般的なペットになったのは17世紀を過ぎてからのことでした。それまでは、棺にいっぱいに詰め込まれて火炙りにされたり、不吉なことがあれば街角で猫をみつけて、一匹でも多くを街から駆逐したりと、存在そのものを否定されてきたのです。
生き物に寛容になったと思われる今でも、生き物たちの戦いはつづいています。飼われたのに捨てられたり、去勢をせずに放し飼いにされたりして、その結果、繁殖しすぎた犬猫は保護され、最期は殺処分されます。
犬猫は適応力があります。野に放された猫は、すぐに野生化することができるのです。それだけの生命力を褒め称えるべきなのかもしれませんが、同時にそれは、また中世ヨーロッパの、畏怖の対象であった「魔女の使い」に戻してしまうことを意味します。
こんなに愛くるしく、個性に溢れた猫たち。
限られた、閉鎖的なスペースではありますが、ねころびにいる猫たちは、できる限り、風雨や寒さに凍えることのないように、いつまでも健康に過ごしてほしいと、心から思います。
寒暖の波のある季節です。お身体にお気をつけください。
記事1:ナショナル・ジオグラフィック「イヌが人懐こくなった理由は「難病遺伝子」に」(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/072100278/)、2017年7月21日の記事、2019年3月31日閲覧。
スタッフすーじー