from : ねこかます
昨日も麿白先生が時雉の猫柔術をやってました。
ちびよ、なぜぼくのグルーミングを拒むのだい。反抗期なのかい。
あんちゃんこればっかやい。もうおいらの対策はできてるんだやい。かかってこいやい。
おおちびよ、それならぼくにも考えがあるよ。
そして繰り返される麿白先生のへたくそ猫柔術、明らかに手加減してる時雉のガードを割る事ができません。
あんちゃん、噛み付くのはせこいやい。
ちびよだまらっしゃい、これも教育なのだよ。
と見せかけての右からのパウンドを見せようとするもがら空きのあごに蹴り上げが入る。
時雉のそこそこ堅牢なガードと、全く意味のない麿白先生の攻撃のおかげで、時雉の防御行動が即カウンターになっているという。
むむむちびよ、なかなかやるようになったね…。
何言ってるやい、ずいぶん前からおいらだいぶ手加減してこの有様やい。
そう、こういう風景を見ると、猫の記憶ってどうなってるのだろうと思うのです。
前にも書きましたが、猫はいい記憶と悪い記憶の極端なものは昨日の事のように覚えてるが、日常の記憶というのは割とすぐに忘れてしまうのではないでしょうか。
だから麿白先生も同じように負けるし、時雉も同じように猫柔術をするのではないかなと。
それとも、このへたくそ猫柔術がふたりにとっていい記憶側にあって、それで敢えて毎日やっている…?その可能性もなくはないですが。
元気なうちだからできる事。双方本気でやってる訳ではないので、できる限りこのやり取りは見守りながらさせようと思ってます。
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