from : ねこかます
「うちの猫が一番かわいい」というのが猫飼いの真理だと思います。
では、それを言語化できるか。説明できるか。
動作が可愛い、懐いてるとかそういう事もそうなんですけども。
うちの猫たちにかんしては、言語化するのは「可愛い」とかではないんですね。
猫たちが自分を選んでやってきたという縁があるから、こいつらは俺と生きるしかないのだというような確信があります。
何度か書いてるように、始まりは参瑚たちのトラ猫一家。
その後、公園の猫たちを去勢することになり、そこに麿白が自ら捕獲機に入る。
そのまま添い寝して珍妙なまま今に至る。
里親を探す選択肢はもちろんあったんですけど、その過程や保護初日にボロボロなのに自分の脇で安心したように眠る麿白をみて、それはできないなと。
そのちょうど一年後、終電をなぜか逆方向に乗ってしまい、ほぼオールで徒歩で帰宅して寝坊してTNRに行ったらちび時雉が衰弱して倒れていたという巡り合わせ。
時雉の里親探しも、その過程と自分が保護したということと麿白の接し方をみて、里親探しは早々にしないことにしました。
そして参瑚は縄張りを三度追われ、ある猫の縁で知り合ったお宅の人に「怪我してる猫がうちの車の下にいる」と呼ばれて行ってみたら参瑚との3度目の遭遇で保護。麿白時雉ともめることなくあっさり家猫化。
ここまで説明すれば「可愛い」とかではないですけど、「自分にとっては運命の存在」というのは納得してもらえるのかなと。
曉璘と翡文はまた色々と事情が違いますが…。
前にも掻いたことはあると思うんですけど、暁璘の保護預かりの際に、奇妙な偶然がありました。
「うちの猫」になるのは、やはり不思議な縁があるのだと思います。
翡文は存在自体が不思議ですし。
人と猫の数だけ、語るべき言葉はあるのだと思います。
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