from : NPO法人・犬猫みなしご救援隊・代表ブログ・みなしご庵へようこそ
大型台風が
日本に向かって来るとのこと
明日の午後から
北陸を通って
秋田市を目指して北上する私たち
それは
あまりにも無謀かと・・・
今夜出発できるように
予定を切り詰めているところです。
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犬猫みなしご救援隊
広島本部に朝が来た♪
玄関を出ると
比較的大きな犬たちの
【朝の運動タイム】でした。
運動って(笑)中高年が多いので
ほとんど
動きがスローですけど(笑)
福島原発の被災犬
広島土砂災害の被災犬
西日本豪雨の被災犬
自分たちが持っている悲しみを
分かち合って
みんな
《今を精一杯生きています》
こちらは
比較的小柄な中型犬たち
朝ごはんを食べ
1時間レストに入っています。
もともとは
大型犬の胃捻転を防止するための
措置でしたが
今ではこうして
すべての犬に対し
ごはんを食べてから
1時間は必ず休憩させます。
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4F親子部屋のケージにいた
子猫に続き
3F子猫部屋のケージにいた
子猫たちのうち
不妊手術を終えた40匹ほどが
自由になりました。
~~~その初日~~~
これから広いところで
バンバン運動して筋肉をつけ
元気な
おとなになることが目標です♪
隣りが食べるならボクも食べる!
大家族の我が家では
そ~いった相乗効果もあります。
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ベランダにはカラスたちがいます。
今年生まれの
子猫たちが見ているのは
今年生まれの
子ガラスのともちゃんです。
ともちゃんは
子猫に見られているもんだから
いつも以上に張り切って
上・下・水浴びをします(笑)
そのたびに子猫が興奮
するとさらに
ともちゃん
手持ち芸を披露するという図式(笑)
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そうそう
子猫40匹の不妊手術と
同時に
タヌキの五郎も去勢手術をしました。
まだ歯もちゃんと生えてない
ちびタヌキですが
野生種の不妊(特にオス)は
早い方がええので
あら・・・
左後肢がおかしい!
おかしい・・・
うちの者が言うには
ちっちゃい時から
クネクネ甘える子だと思っていたそう
うちにいて事故に遭うハズもないし
おそらく先天性・・・
・・・だから逆に
とっても上手に歩く・・・
よく様子を見ていたら
追いかけごっこもするし
この子にとっては
これが普通
おもちゃ遊びも大好きで
おもちゃを蹴って
しとめることだってできます
じゃから問題ないね♪
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~~~2日目~~~
子猫たち
自由な生活にずいぶん馴れたようで
ごはんを置いた瞬間に
出て来る子が増えました。
さすが子猫
順応性が高い♪♪
・・・ならば早めに
子ダヌキの五郎に
仲間に入る練習をさせよう!
写真中央のケージが
五郎
「出てみようかな」
「見たことない生き物がおる!」
子猫が
五郎のケージの前に来ました。
「ヤバいヤバい!怖いよ~~ッ」
・・・by 五郎
3匹4匹ならええですけど
ここまで子猫がいると
さすがの子ダヌキもgive
五郎ちゃん出られません・・・
五郎ちゃん
あきらめて寝てしまいました。
「オレ夜行性じゃし今は寝て
みんなが寝静まった夜中に出るよ」
あ~~~あ
五郎ちゃん残念・・・
猫も同じ夜行性じゃし(笑)
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支援物資の中に
中谷さんが生まれた年の切手
・・・ってのが入っていて
昭和41年じゃん(笑)
私は昭和37年なのに(笑)
まぁそれならそれでもかまわんし
このまま黙っておこう♪♪
・・・笑いながら言ったら
「どれどれ」
・・・と見に来たうちの者が
「よく見てください!
中谷さんが生まれた年の
切手は
ちゃんと
1962年(昭和37年)になってますよ!」
ホンマじゃ!!
年がバレとるし・・・チッ!
あ!でもこの絵
なんか猫みたいな寅の絵じゃん
そ~か
それで私は猫の保護しとるんじゃ・・・
↑ ↑ 意味わからん(笑)
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私たちの活動は
楽しいことより
悲しいことツラいことの方が多い活動です。
・・・だからこそ笑おう♪
笑って笑って《良い気》を呼び込もう♪
・・・と日々思って
笑いながら活動していますが
やっぱり私も人の子
顔で笑っていても
心の中では
笑えないときが多々あります・・・
こないだの8月2日
私たちが
栃木拠点にいたとき
田原君が
急きょ広島に帰ったでしょ
ようやく数日前に
すべての機関への報告等の手続が
全部終わったので
田原君が広島に帰った理由を
言いますとね
8月2日の朝8時20分
5歳だった
ゆ~坊が急に胃の状態が悪くなって
亡くなりました。
犬や猫と違って
1・5トンの去勢牛ですから
人力ではどうにもならず
重機を動かすために田原君は帰ったのです。
誰より
ゆ~坊&た~坊のお世話をしていた
田原君の心情を思うと
最期は田原君が運び出すのが
一番だと考え
田原君が広島に帰り
私が
栃木拠点に残ることにしたのです。
さすがに
2人は帰れんですから
田原君は毎月2回
1人で土を交換して
1人で
グルーミングもして爪も切って
ゆ~坊も
田原君には特別甘えていましたし
みなしごバスが到着すると
エンジン音だけで
「モ~モ~」と
うるさいぐらい鳴いていました。
・・・だから
ショックが大きくて
『広島へ帰ったらど~や?』
・・・と聞いたときも
「ごめん・・・
ワシは帰りたい・・・帰らせてくれ!」
・・・と
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そ~は言うても
田原君は人間なんで
どが~にでもなりますが
問題は残された
た~坊で・・・
2頭はすごく仲が良かったし
た~坊は
ゆ~坊なしでは何もできなかったし
どちらかが先に逝くことは
当たり前のことなのに
私には
2頭が離れるときが来るなんて
想像もしていませんでした。
た~坊は
目を開けないゆ~坊を丸1日
舐め続け
ゆ~坊を運び出すのを
阻止しまくり
3人が
ゆ~坊を運び出し
3人が
た~坊を止める・・・みたいに・・・
当然た~坊は
ゆ~坊の死から1週間食欲もなく
「お前が殺したんか!」
「ゆ~坊を返せ!」
うちの者全員に威嚇していたそうです。
8月13日は栃木拠点で
迎え火をしました。
その翌日の朝
先立ったうちの子たちの御霊を乗せてきた
きゅうりの馬が1つ
重さに耐えきれず
ぺしゃんこになっていました。
私は
『ゆ~坊が乗ってきたんじゃ』
・・・と思い
『ゆ~坊が栃木におる!』
・・・と
広島に電話をしたら
「そんなことはないですよ!
昨日から
た~坊のテンションが高くて
独りで
楽しそうに飛び回ってますよ!
ゆ~坊は間違いなく広島にいます!」
・・・と
そりゃ~そ~か・・・
た~坊のとこに行くわな(笑)
・・・でも見てください
本当にぺしゃんこになっとるけぇ!
当日
ね!右のキュウリの馬が
重さに耐えかねた感じがしませんか・・・
独りになった
た~坊
寂しいけど頑張ろッ!
ゆ~坊の分まで生きようよ!
ゆ~坊
5年間 本当にありがとう・・・
うちに来てくれてありがとう・・・
次はお浄土で会おう♪