from : 姫柴な毎日
私がブログを書き始めた2006年1月頃は、まだパソコンのないご家庭も多くごく一部の人たちに限られた世界でした。それが便利な事が普及するのは早いもので、スマホの普及をバネに今では日本の、いえ世界中の人たちがSNSで交流しています。その中には楽しいことばかりではなく、悲しいことや怒れることや、たくさんのことが渦巻いています。
便利なこともいっぱいあって、こんなに便利で良いのかしら?と怖くなるほどです。
買い物も、お出かけも、マナーも、季節の挨拶も、何もかもネットが教えてくれます。
パソコンやスマホを開かぬ日はありません。
遠い外国のことも、お隣のことも、小さな液晶画面に映し出されます。余りにも身近で、余りにも心に響いてしまいます。以前、急にお電話を頂いた人に嬉しくなっておしゃべりをして「ネットの知り合いの人は垣根が低い」と言われてしまったことがあります。初対面にも関わらず毎日見てきた人だったものだから、ついつい話が弾んでしまったのですが、あくまでも初めての電話でしたからもう少し礼儀をわきまえるべきでした。私の中では憧れのアイドルからの電話のようでしたからいけませんでした。そのことは私の中では凄く反省している出来事で、ネットと現実の付き合いは違う、と今では心に言い聞かせていいます。
私は今までブログを続けてきて、自分は知らないのに相手は自分を知っている(変な表現ですが)という複雑な思いをしてきたことが何度もあります。別に嫌ではないですが(嫌ならブログはやめています)良い出会いもたくさんありました。良い出会いの方が多いのです、私はSNSは自分の世界を広げてくれたと思っています。家族が離れて暮らしていた時にブログを見て家族が安心して暮らせるようにと願っていました。それは今も同じです。
本人はここに書くときには心の整理はある程度つけています。カンナのこともそうです。受け止めれたから書けたんです。ぎゃくに高齢犬にはこんな病気もあり、生命力の強い日本犬を家族に迎えるということは、そこまでの覚悟を持って迎えてやってほしいとの願いからもあります。
生き物ですから、病気もすればケガもします。その都度対応してやらねばいけません。
私の母は犬が病気やケガをするたびに「誰か家族の身代わりになってくれた」と言って看病していました。迷信でしかないのですが、そう思うことで母の中では心の整理をつけていたのでしょう。私もいつもそう思っています。特別な治療はしてやることはできないだろうけれど(治るならやりますよ)心から愛してやります。
ただ、ただ、あなたが好きです、必要ですと心の中で念じるだけです。
それでも届かないことはたくさんある。それでも人は生きていかなくちゃならない。
カンナの病気のことを書いたことで、たくさんの方が悲しんでくださって感謝しています。
こんなにもカンナが愛されていたのかと、改めて思い知らされました。ありがとうございます。
カンナやサチは高齢によるものですから、機械じゃないもの寿命があります。それはわかっていますから、後悔をせぬように、精一杯愛してやります。生きていてくれたら良いのです。ボケようが粗相をしようが、暴れようが良いのです。
命ある限り、もちろん私の命もね。
どうぞ、あたたかく見守ってやってください。
そして、自分の横に居る生き物を愛してやってください。