from : NPO法人・犬猫みなしご救援隊・代表ブログ・みなしご庵へようこそ
東日本大震災から
1年経った
2012年3月11日
私は1冊の
記録本を出版しました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
2011年冬
いろんな人が
集まって
雑談している時
「中谷さんの
東日本大震災での
活動記録を記した
記録本を
出さないか」
・・・との話が
持ちあがりました。
『福島の子たちは
見せ物じゃない!』
・・・という気持ちが
根強くあったため
当時の私は
出版に際し
まったく
乗り気ではありませんでした。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
出版するか否かの
話し合いの場で
TV局の偉い人は
「ドキュメンタリーは
未来の人に
強いメッセージを残せる
唯一の手段なので
是非とも
残すべきだ」
・・・と言い
ウチの専属カメラマンの
金子さんは
「オレは
オレの写真を
世に出したい」
・・・と言い
田原君は
「ワシらの活動を
記録として残すことは
ええことじゃと思う」
・・・と言いました。
それでも
ええ顔しない私に
ドキュメンタリーを
扱う
書肆侃侃房の
田島さんが
「わかりました。
金子さんの
写真集を出しましょう
金子さんの写真が
映えるように
中谷さんが
ちょっとだけ
言葉を添えてくれれば」
・・・と
言いました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私は
金子さんの写真に
言葉を添えるだけなら
・・・と
引き受けました。
・・・だから
私たちの
活動記録本なのに
本の名前が
写真集【鼓動】
・・・なのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
その後
田島さんの
持っていき方が上手で
私に電話をかけて
「〇〇ちゃんは
こんな感じで
保護したの?」
・・・と
私が
‘燃えてしまう’ような
問いかけをするので
『そんなんじゃない!
〇〇の場合は』
「あらそう・・・
じゃあ
私にもわかるように
詳しく書いて
FAXしてよ」
・・・と
「犬に対して
中谷さんはどう思うの?」
私が答えると
「そうなの!!
私はそうは思わなかった・・・
私は
素人はだから
よくわからないので
私にも
わかりやすく
ササッと書いて
FAXして」
こんな感じで
2週間ぐらい
ほぼ毎夜
田島さんは
私に
トンチンカンな
質問をしては
私に
FAXさせていました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ある日
田島さんから
「中谷さん!
原稿が
出来上がりましたよ
読んでみてください」
・・・と
渡されたのが
写真集【鼓動】の
原稿
すなわち
出版する気がない
私が
田島さんの言葉に
熱くなって
汚い字で書いた
文章を
1冊の本として
まとめたものでした。
田島さんの
やり方と
田島さんの
構成力には
驚きました!
私は全然
‘書いたつもりなく’
本を1冊
書いていたのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
もし私が
2冊目の本を
出すとしたなら
やっぱり
書肆侃侃房の
田島さんに
お願いしたいと思います。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そんなこんなで
出版した本
【鼓動】
この本の
P50~に載っている
G・レトリーバーの
さくら
福島第一原発から
5km圏内の
双葉町で保護した
G・レトリーバー・オス
ウチに昔
さくらという名の
G・レトリーバー・メスが居たので
男の子だったけど
「さくら」
・・・と呼んでいたのです。
さくらは
私たちが保護した後に
突然
分離不安になり
田原君に襲い掛かり
全身を咬んで
左小指を
咬み千切りました。
全身咬傷なので
小指だけでなく
ヒドいケガでした。
40kgオーバーの
G・レトリーバーに襲われたら
人間なんて
ボロ雑巾のように
振り回されるんですねぇ・・・
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
このことが
世間に知れ渡ると
私は代表としての
責任を問われ
「犬を安楽死するよう」
通達される・・・
それだけは
なんとしてでも
阻止せねば・・・
私は
私の責任下において
去勢・抜歯をして
投薬治療をすることに
決めました。
これが
思いのほかうまくいって
さくらの精神は
少しづつ回復
さくらは
田原君を
襲ったことなど
すっかり忘れて
毎日
田原君と
川で
水遊びをしたりして
楽しく過ごしていました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そうは言うても
さくらは
一度ひどく
人を襲った子です。
譲渡には
向きません。
さくらとは
このまま
死ぬまで一緒だと
思っていたのですが
飼い主さんが
見つかり
2011年秋
さくらは
飼い主さんの元へ
帰って行きました。
この写真は
さくらが
飼い主さんの元へ帰る日
田原君と
お別れの日の写真です。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私たちは
さくらのことが
気になって
何度か
様子を見に行きましたが
いつも
穏やかにしていました。
それから
3年が経ち
今年の1月の初め
ペットの王国
ワンだランドのロケで
(3月13日放送)
お久しぶりに
さくらの元を訪ねました。
すると
さくらは
脾臓がんになり
脾臓を全摘し
40kgあった
立派な姿はどこにもなく
ガリガリに痩せ
立てない状態で
犬小屋の中に居ました。
飼い主さんからは
脾臓全摘をしたのが
10月だから
余命1ヶ月だと
説明を受けました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
飼い主さんが
末期がんの犬の
お世話をする自信がない
・・・と言うので
私たちは
さくらを
引き取って
看取ることにしました。
さくらは
私たちが
命を賭けて
原発5km圏内から
連れ出した子です。
私たちが
看取るのは
当たり前のこと
みなしごバスに
乗り込む
さくら
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
栃木拠点に
着いてからさくらは
田原君から
一時も離れず
ずっと
ついて回りました。
田原君に
捨てられたと思っていたのか
さくらは
「もう捨てられないぞ」
・・・とばかりに
田原君のそばから
離れず
田原君のことを
とにかく
追いかけるのです。
がんの
転移も見られ
ガリガリに痩せ
立つのも
えんやらやっとなのに・・・
しかも
他の犬にも
まったく興味がなく
「ボクは
田原父さんがいたら
それでええ」
田原君が
どこかに出かけると
帰ってくるまで
門前で
ずっと待つのです。
雪の日も
晴れの日も
さくらは
田原君にべったり
犬ってすごい・・・
気が狂って
襲ったのに・・・
それから仲良くなって
信頼関係ができたら
今度は
片時も離れない
つまづいては
ころげる
さくらに
1日に2時間は
休みんさい
8面サークルで
おとなしくさせました。
こうでもしないと
田原君について
ず~~~っと
歩き続けるので・・・
その後さくらは
私たちと一緒に
広島本部に帰りました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
脾臓がんは
摘出後
余命3ヶ月
・・・と言われています。
摘出から
もうすぐ3ヶ月
私は
スタッフに指示しました。
『さくらは
何でもええので
食べたがるものを
食べたいだけ
食べさせて』
私たちが
広島にいる間
夜
さくらは
恋い焦がれていた
田原君の真横に
ええ子して
寝ていました。
「さくら!
今度の旅は
ちょっと長いんじゃ
お父さんが帰ってくるまで
待っとけよ
約束じゃけぇの」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そして
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「さくら危篤」
・・・の
一報が入ったのは
私たちが
栃木拠点を出る
2日前のこと
広島には
まだあと6日
帰れません・・・
「岡山が終るまで
大丈夫かのぅ?」
『さくらは
あんたを待っとるよ』
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
4月1日
午前11時
広島本部に到着
さくらは
横たわっていました。
「さくら!
父さん帰って来たで!」
さくらは
起き上がって
数分
じっとして
田原君を見ていました。
「もうええ・・・
さくら横になれ」
2016年4月1日
夜10時
さくらは
小指を
咬みちぎった田原君の
帰りを待って
安心したかのように
静かに
息を引き取りました。
さくら
享年10歳
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
あなたの「いいね!」で
犬猫みなしご救援隊を
支援してください!
http://gooddo.jp/gd/group/inunekominashigo/?from=fbn0
上記のリンクから
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犬猫みなしご救援隊に
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※さらにこの投稿の
「シェア数×10円」も
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「いいね!」での
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1.まずは
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「いいね!」をしていただくと
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お買い物される方も
多いかと存じますので
ぜひご活用いただければ幸いです!
1年経った
2012年3月11日
私は1冊の
記録本を出版しました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
2011年冬
いろんな人が
集まって
雑談している時
「中谷さんの
東日本大震災での
活動記録を記した
記録本を
出さないか」
・・・との話が
持ちあがりました。
『福島の子たちは
見せ物じゃない!』
・・・という気持ちが
根強くあったため
当時の私は
出版に際し
まったく
乗り気ではありませんでした。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
出版するか否かの
話し合いの場で
TV局の偉い人は
「ドキュメンタリーは
未来の人に
強いメッセージを残せる
唯一の手段なので
是非とも
残すべきだ」
・・・と言い
ウチの専属カメラマンの
金子さんは
「オレは
オレの写真を
世に出したい」
・・・と言い
田原君は
「ワシらの活動を
記録として残すことは
ええことじゃと思う」
・・・と言いました。
それでも
ええ顔しない私に
ドキュメンタリーを
扱う
書肆侃侃房の
田島さんが
「わかりました。
金子さんの
写真集を出しましょう
金子さんの写真が
映えるように
中谷さんが
ちょっとだけ
言葉を添えてくれれば」
・・・と
言いました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私は
金子さんの写真に
言葉を添えるだけなら
・・・と
引き受けました。
・・・だから
私たちの
活動記録本なのに
本の名前が
写真集【鼓動】
・・・なのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
その後
田島さんの
持っていき方が上手で
私に電話をかけて
「〇〇ちゃんは
こんな感じで
保護したの?」
・・・と
私が
‘燃えてしまう’ような
問いかけをするので
『そんなんじゃない!
〇〇の場合は』
「あらそう・・・
じゃあ
私にもわかるように
詳しく書いて
FAXしてよ」
・・・と
「犬に対して
中谷さんはどう思うの?」
私が答えると
「そうなの!!
私はそうは思わなかった・・・
私は
素人はだから
よくわからないので
私にも
わかりやすく
ササッと書いて
FAXして」
こんな感じで
2週間ぐらい
ほぼ毎夜
田島さんは
私に
トンチンカンな
質問をしては
私に
FAXさせていました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ある日
田島さんから
「中谷さん!
原稿が
出来上がりましたよ
読んでみてください」
・・・と
渡されたのが
写真集【鼓動】の
原稿
すなわち
出版する気がない
私が
田島さんの言葉に
熱くなって
汚い字で書いた
文章を
1冊の本として
まとめたものでした。
田島さんの
やり方と
田島さんの
構成力には
驚きました!
私は全然
‘書いたつもりなく’
本を1冊
書いていたのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
もし私が
2冊目の本を
出すとしたなら
やっぱり
書肆侃侃房の
田島さんに
お願いしたいと思います。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そんなこんなで
出版した本
【鼓動】
この本の
P50~に載っている
G・レトリーバーの
さくら
福島第一原発から
5km圏内の
双葉町で保護した
G・レトリーバー・オス
ウチに昔
さくらという名の
G・レトリーバー・メスが居たので
男の子だったけど
「さくら」
・・・と呼んでいたのです。
さくらは
私たちが保護した後に
突然
分離不安になり
田原君に襲い掛かり
全身を咬んで
左小指を
咬み千切りました。
全身咬傷なので
小指だけでなく
ヒドいケガでした。
40kgオーバーの
G・レトリーバーに襲われたら
人間なんて
ボロ雑巾のように
振り回されるんですねぇ・・・
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
このことが
世間に知れ渡ると
私は代表としての
責任を問われ
「犬を安楽死するよう」
通達される・・・
それだけは
なんとしてでも
阻止せねば・・・
私は
私の責任下において
去勢・抜歯をして
投薬治療をすることに
決めました。
これが
思いのほかうまくいって
さくらの精神は
少しづつ回復
さくらは
田原君を
襲ったことなど
すっかり忘れて
毎日
田原君と
川で
水遊びをしたりして
楽しく過ごしていました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そうは言うても
さくらは
一度ひどく
人を襲った子です。
譲渡には
向きません。
さくらとは
このまま
死ぬまで一緒だと
思っていたのですが
飼い主さんが
見つかり
2011年秋
さくらは
飼い主さんの元へ
帰って行きました。
この写真は
さくらが
飼い主さんの元へ帰る日
田原君と
お別れの日の写真です。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私たちは
さくらのことが
気になって
何度か
様子を見に行きましたが
いつも
穏やかにしていました。
それから
3年が経ち
今年の1月の初め
ペットの王国
ワンだランドのロケで
(3月13日放送)
お久しぶりに
さくらの元を訪ねました。
すると
さくらは
脾臓がんになり
脾臓を全摘し
40kgあった
立派な姿はどこにもなく
ガリガリに痩せ
立てない状態で
犬小屋の中に居ました。
飼い主さんからは
脾臓全摘をしたのが
10月だから
余命1ヶ月だと
説明を受けました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
飼い主さんが
末期がんの犬の
お世話をする自信がない
・・・と言うので
私たちは
さくらを
引き取って
看取ることにしました。
さくらは
私たちが
命を賭けて
原発5km圏内から
連れ出した子です。
私たちが
看取るのは
当たり前のこと
みなしごバスに
乗り込む
さくら
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
栃木拠点に
着いてからさくらは
田原君から
一時も離れず
ずっと
ついて回りました。
田原君に
捨てられたと思っていたのか
さくらは
「もう捨てられないぞ」
・・・とばかりに
田原君のそばから
離れず
田原君のことを
とにかく
追いかけるのです。
がんの
転移も見られ
ガリガリに痩せ
立つのも
えんやらやっとなのに・・・
しかも
他の犬にも
まったく興味がなく
「ボクは
田原父さんがいたら
それでええ」
田原君が
どこかに出かけると
帰ってくるまで
門前で
ずっと待つのです。
雪の日も
晴れの日も
さくらは
田原君にべったり
犬ってすごい・・・
気が狂って
襲ったのに・・・
それから仲良くなって
信頼関係ができたら
今度は
片時も離れない
つまづいては
ころげる
さくらに
1日に2時間は
休みんさい
8面サークルで
おとなしくさせました。
こうでもしないと
田原君について
ず~~~っと
歩き続けるので・・・
その後さくらは
私たちと一緒に
広島本部に帰りました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
脾臓がんは
摘出後
余命3ヶ月
・・・と言われています。
摘出から
もうすぐ3ヶ月
私は
スタッフに指示しました。
『さくらは
何でもええので
食べたがるものを
食べたいだけ
食べさせて』
私たちが
広島にいる間
夜
さくらは
恋い焦がれていた
田原君の真横に
ええ子して
寝ていました。
「さくら!
今度の旅は
ちょっと長いんじゃ
お父さんが帰ってくるまで
待っとけよ
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。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「さくら危篤」
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2日前のこと
広島には
まだあと6日
帰れません・・・
「岡山が終るまで
大丈夫かのぅ?」
『さくらは
あんたを待っとるよ』
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
4月1日
午前11時
広島本部に到着
さくらは
横たわっていました。
「さくら!
父さん帰って来たで!」
さくらは
起き上がって
数分
じっとして
田原君を見ていました。
「もうええ・・・
さくら横になれ」
2016年4月1日
夜10時
さくらは
小指を
咬みちぎった田原君の
帰りを待って
安心したかのように
静かに
息を引き取りました。
さくら
享年10歳
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
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